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2012/06/14

【解答案】『医歯薬進学』2012年7月号:生殖医療の問題 問題2の別解


月刊『医歯薬進学』2012年7月号:生殖医療の問題


問題2の解答案 別解を以下に掲載します。

★この問題は,1980年代にアメリカで議論を巻き起こした「ベビーM事件」と呼ばれるケース。自由な市場における自由な契約は,どこまで有効なのかというテーマに関する問題である。

★「ベビーM事件」は,不妊のカップルのスターン夫妻(代理出産依頼主)と,自らの卵子と子宮を提供し,スターン夫妻の代理出産を行なったメアリー・ベス・ホワイトヘッド夫人との間の,子(ベビーM)の養育権,代理出産契約の有効性の判断,をめぐる事件で,ニュージャージー州の法廷で裁判が行われた。州の最高裁判所は,全員一致で代理出産契約は無効であるという判決を下しているが,一方で、ベビーMの養育権をビル・スターン(精子の提供者)に認め、また他方で、メアリー・ベスをベビーMの母親であるとしたうえで、メアリー・ベスには、ベビーMへの訪問権を認めた。養育権をスターン夫妻側に与えたのは、子の最善の利益を確保することを優先したためであるとされている。

★以下の解答案は,おもに裁判で争われた論点をめぐる考察になっている。


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【解答案:別解①】契約履行を支持する立場(スターン夫妻の養育権を認める立場)

私は契約の遵守と子の福祉という観点からスターン夫妻の養育権を認める考え方を支持する。

まず,そもそも契約順守という規範は,その契約がいちじるしく不合理なものであったり,不利益をもたらすようなものでなければ,どのような場面においても守られるべきである。そして,この契約順守の考え方が認められるならば,この代理母契約の有効性は、自由主義の観点から導き出すことができる。自由主義の考え方によれば、他人に危害を加えない限り何をする自由も妨げられないから、契約の履行によって誰にも危害が及ばない本契約は有効であり、メアリー・ベスは,約束通り産んだ子の養育権を放棄しなければならない。

また,子の福祉という観点からも,本契約の履行は支持することができる。メアリー・ベスは,家計の安定していない状況において,金銭的なメリットを得ることを目的として代理母契約を結んだのであり,一方のスターン夫妻は遺伝的つながりのある子を持ちたいがために契約を結んだ。したがって,子にとっては,もともと子を望んでいたスターン夫妻のもとで養育されるのが子のためになり,また経済的にも恵まれているスターン夫妻の方が子に有益な養育を与えることができると考えられる。 

たしかに,妊娠や出産という行為は神聖で尊厳に値するものである。そして,そのことを根拠として,代理母契約自体を不正な行為とみなす反論が想定できる。しかし,神聖で尊厳に値するということから、契約や売買の対象にしてはいけないということにはならない。この契約によって、スターン夫妻は遺伝的につながりのある子を手に入れ、メアリー・ベスは1万ドルという対価を手に入れる。したがって,契約時に強制などの圧力が無かったと考えるならば,この契約は双方にとってデメリットのないものであり,正当な契約であると考えるべきである。(762

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【解答案:別解②】契約を無効とする立場1(スターン夫妻の養育権を認めない立場)

私は,代理母の契約時においての同意の不十分さを理由に,スターン夫妻の養育権を認めないという判断を支持したい。

まず,第一に契約時のメアリー・ベスには十分な情報がなく、真の意味で自発的な同意があったとは考えられない。契約において十分な情報がなかったということは、重大な瑕疵である。メアリー・ベスは,妊娠後にどのような感情を抱くようになるか十分にはわかっていなかった。彼女は、赤ちゃんを身ごもって初めてお腹の中の子との絆の強さを知ったのである。

次に,彼女にとっては、生活が苦しい中での1万ドルは、あまりに大きな誘惑になっていたはずである。つまり,目の前の大金に目が眩んで,意に反した契約を結んでしまったということが想定できる。このような状況での契約は、契約を推進したいスター夫妻側に有利なようにリードされざるをえず,彼女が完全に自発的であったとはいえない。

自分が置かれている立場をきちんと理解していることが契約の成立する条件ではないだろうか。自律あるいは自己決定という理念に照らして見ても,同意が自発的でなかったのは、倫理に反する行為である。たしかに,両者は大人であり,形式上は対等な契約を行った。しかし,実質的には,正しい判断に欠ける,対等でない契約になってしまっている。
したがって,以上の理由により,契約は無効とすべきであって,実母であるメアリー・ベスに養育権が認められるべきであると考える。(595


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【解答案:別解③】契約を無効とする立場2(スターン夫妻の養育権を認めない立場)

私は,この代理母契約については,契約そのものがいかに正しい手続きと実態を踏まえていたとしても,倫理に反するものとして無効であると考える。

代理母契約は,子の自律を侵害するものである。妊娠や出産という経験は、親と子の愛情を育む大切で重要な契機である。また,乳幼児の健全な養育にとっても,母親との愛情による結びつきは不可欠である。しかるに,金銭の授受を伴う契約によって,子の受け渡しを決める契約は,とくに母親との愛情や絆を金銭によって引き離す行為であり,認めることはできない。子そのものはもちろん,子との愛情や絆は本来売買すべきものではない。この契約は,人身売買に相当する可能性すらある。人身売買は「買ってはいけないもの」を売買する不正な行為である。

一方で、スターン夫妻はメアリー・ベスから代理妊娠と代理出産という「サービス」を買ったのであり、これは人身売買には当たらないという反論も、もちろん可能ではある。しかし、その子は遺伝的なつながりがある(少なくとも半分はある)子であり,代金の支払いは、子と養育権の引き渡しの時に行なわれることになっている。したがって、この契約履行における金銭の授受は,実質的には「サービス」の対価ではなく、赤ちゃんを「譲ること」に対する対価という意味を持っているのである。

さらに、この契約が人身売買などではなく、妊娠と出産というサービスあるいは労働に対する対価の支払いを定めるものであると解釈できたとしても、そもそも女性の生殖能力のようなものをサービスとして売り買いしてよいということにはならない。この契約は利益を目的ビジネスの色彩を帯びており、出産をビジネスとして扱うことは,社会通念上認められない。

以上の通り,本契約は売買の対象にしてはならない子やサービスを売買するものであり,倫理的にも社会通念上も認められるものではない。したがって,子の養育権は,実際に分娩を行なったメアリー・ベスに認められるべきである。(817

(追補:ただし,スターン氏側は,自分の精子を提供しており,また契約までの金銭的な費用を負担していることが想定できる。違法な取引や強要もなかったと考えれば,スターン氏側への何かしらの補償があってもよいだろう。)


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