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2011/11/12

医歯薬進学 12月号補講 「コミュニタリアニズム」とは何か(その一)

「コミュニタリアニズム」とはどのような思想か。本誌(医歯薬進学201112月号)には,簡単な説明しか掲載できなかったので,ここでやや詳しく説明しておこうと思う。

コミュニタリアニズム Communitarianismと聞くと,私より上の世代の人たち(50歳代より上の人たち)の中には,「共産主義?」という思想を思い浮かべてしまう人もいると思う。しかし,20世紀的イデオロギーである共産主義 Communism とは直接的には関係がない。共産主義は,19世紀後半に,マルクスとエンゲルスによって体系化され,20世紀の後半まで大きな影響力を持ったが,マルクス主義の思想に依って共産主義革命政権を打ち立てたソビエト連邦が崩壊し(冷戦の終結),事実上「過去の」思想となってしまった。(ただし,いわゆる共産主義や社会主義を標榜する国家はいまだ存在する。中国,ベトナム,ラオス,キューバ,北朝鮮である。)

さて,コミュニタリアニズムは,共産主義ではなく,「共同体主義」とか「共同体論」と訳されている。NHK「ハーバード白熱教室」のマイケル・J・サンデルが有名になってから,日本でもコミュニタリアニズムが脚光を浴びるようになったが,つい最近までは「伝統的な共同体の価値を個人の自由よりも優先する保守思想」というような通り一遍の理解が一般的であった。「共同体」という言葉のイメージからか,どちらかというと保守的で右派的な政治思想であるかのように語られることが多かったのである。

しかし,これらの理解は,ほとんど的を得ていないばかりか,コミュニタリアニズムの主張の真意とはほとんど関係がない。コミュニタリアニズムは,個人の「自由」や「権利」,リベラリズム(自由主義)の思想そのものを否定するものではない。コミュニタリアニズムが批判するのは,既存の自由主義が前提にしている「権利を基調とする普遍的正義」の考え方である。コミュニタリアンであるサンデルたちが主張するのは,社会や共同体の「目的telos」や「善good」を定義せずして正義や倫理は語れないということであり,リベラリズムが切り捨てた「善」,とりわけ「共通善」の考え方の復活なのである。

 リベラリズム(自由主義)は,J・ロックやカント,そしてJ・ロールズなどによって定式化され洗練されていた思想だが,基本的に「人はそれぞれ個人に固有の善(目的)を持って生きている」ため,そのような「善」を基底にすえた普遍的な正義は成り立たないと考える。リベラリズムは,義務や権利を基底とする普遍的な正義を構想し,個人や共同体の価値にはあえて関心を向けようとしない。簡単に言えば,「人それぞれ違うんだから,皆が何を大切にしているか,重要な価値と考えているのはなにかについては触れないでおこうね」,となる。それに対して,コミュニタリアニズムは,「人それぞれ多様だけれども,同じ社会を営むのだから,共通の価値を探し出す努力をしなければだめだよね」,という具合に答える。

 リベラリズム(自由主義)は,国家による福祉を重視する「リベラリズム」(ロールズ的自由主義)から,個人の所有権と自由市場を重視する「リバタリアニズム」(自由至上主義)までさまざまなバリエーションがあるが,コミュニタリアニズムは,国家による再配分(大きな政府)や市場による分配(小さな政府)のどちらにも組せず,あくまで自由主義の範囲内であるが,中間的共同体,つまり家族や地域コミュニティーなどにおける自治的な政治の重要性を強調する。イギリスのブレア政権(新しい労働党)の中道左派路線にも影響を与えた政治思想で,政策的には,社会民主主義的な平等と福祉を重視する。

 コミュニタリアニズムは,論者によってもさまざなな主張があるので,一概に括って説明することが難しい思想であるが,「共通善」を見出そうとする努力,そしてそれらの政治的な努力を市民に要求するという点において,共通の特徴がある。なお,コミュニタリアンは,古代ギリシャの哲学者・アリストテレスの倫理学に依拠して論じることが多いが,それは,アリストテレスの目的論と,「徳」(アレテー)の考え方を受け継いでいるからである。(センター試験の科目「倫理」を選択している人は,もういちどアリストテレスの倫理学について復習してみよう。サンデルを読むときにも役立つはずだ)。